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バブル経済とは?いつ?原因や崩壊理由を簡単にわかりやすく解説

バブル経済(英語:Economic bubble)とは、実態経済よりも価値が膨らんでしまう経済のことです。

バブル崩壊以後の日本経済がおかしくなったと言われていますが、そのバブル経済とはどういったものだったのでしょうか?

また、崩壊した原因や影響は何だったのでしょうか?

今回はそんなバブル経済について簡単にわかりやすく説明します。

バブル経済とは

バブル経済とは、実態以上の価値が発生してしまっている経済状況のことです。

たとえば、1億円で買える価値のある不動産があったとします。通常ならば、1億円あれば購入できますが、みんなが1億円以上の値段があってもっと価値が上がり続けると思い込んだ結果、1億2000万円など上乗せされた価格で取引されます。

つまり、「価値が上昇するだろう」と思い込まれているので、現実の価格よりも高い価格でやり取りされる状態です。

具体的には、以下のようなものの価格が上昇します。

  • 土地
  • 建物
  • 絵画
  • 宝石

これらを所持していれば価格が上昇すると思われていたので、買い手が多くなり価格上昇を招きました。

ちなみに、バブルは日本語で泡のことです。泡のように価格が膨らみ続けることのたとえとして、バブル経済と言われています。泡も簡単に破れるので、バブル経済の崩壊と近いものがあります。

日本のバブル経済はいつ始まったの?原因は?

バブル経済は1980年代後半から1990年代初頭に起こった

日本でのバブル経済は、1986年12月から1991年2月までのことを指します。大体1980年代後半から1990年代初頭です。

バブル経済が始まった原因

バブル経済は以下のようなプロセスを辿って発生しました。

  1. プラザ合意による円高
  2. 金融政策で金利が引き下げられる
  3. バブル経済の影響で多くの人が投資に参加し不動産などが買われる

①プラザ合意による円高

プラザ合意は1985年に行われた、先進国5カ国(日・米・英・独・仏)の会議での決定事項です。当時の日本は輸出大国で、アメリカは対日貿易赤字となっていました。そこでアメリカのドルを安くして、貿易赤字を改善しようという狙いがあったのです。

この合意前は1ドル235円だったのが、1年後には1ドル120円台になってしまいました。

ちなみに、自国の通貨が安い方が輸出には有利になります。なぜならば、自国の通貨が安い方が相手の通貨をより多く得られるからです。

  • 1ドル100円の場合:100ドルの商品を売ると10,000円得られる
  • 1ドル110円の場合:100ドルの商品を売ると11,000円得られる

結果として、輸出が減った日本の経済は悪くなってしまいました。

②金融政策で金利が引き下げられる

悪くなった経済を救うために取られたのが、低金利政策です。1985年に5%だった金利は、2年後の1987年には2.5%になりました。金利が安くなるとお金が借りやすくなるので、企業は設備投資などを行って結果的に経済を活発化させられます。

③バブル経済の影響で多くの人が投資に参加し不動産などが買われる

その一方で、当時は「財テク」というワードで個人の間でも投資が流行りました。金利が低いので投資をすれば儲かるということです。それから、日本は島国で面積が限られているので経済が上向けば土地も必ず上がるという考え方が存在していました。

そうしたことから、企業や個人の間で銀行からお金を借りて不動産などに投資を行うのが一般的になります。通常、銀行はお金を貸す時に、返ってくる担保が必要ですが当時は1億円のマンションを担保に新しいマンションを購入する資金を借りるといったことが広まりました。

これが繰り返されると実態以上の額面で金額がやり取りされます。もちろん、担保として機能しておらず、実際はそこまでの価値がないので、バブルが弾けて不動産の価格が暴落しても借りたお金が返せません。いわゆる銀行の不良債権となりました。

バブル経済のメリットとデメリット

バブル経済のメリットとデメリットは以下の通りです。

メリット

  • 生活水準が豊かになる
  • 雇用が生まれる

デメリット

  • 資産が下落する恐れがある
  • 本業以外の業務を行う企業が増加

メリットよりデメリットの方が大きいと言われていますが、一般的に分別するとこのようになります。

みんなが楽しそうに高級車や高級レストランを楽しむようになって生活の水準が上がります。そして、雇用もイケイケどんどんで増えます。

その一方で、企業は本業を行うより株や不動産投資を行った方が利益になるので、本業より熱が入ります。

そして、バブルが崩壊した時のデメリットが大きいです。バブル期に行った投資は紙切れになりますし、設備に投資しても設備をメンテナンスできず負債になります。さまざまな面でマイナスの影響を及ぼします。

写真と動画で見るバブル経済の生活

こちらは1990年、バブル経済時代の渋谷の様子です。今も栄えていますが、この時はギラギラしていました。

また、毎日新聞にはバブル経済時代の写真が掲載されています。

毎日新聞

1989年7月 日本一地価の高い銀座5丁目、鳩居堂前…

バブル経済が崩壊した理由ときっかけ!いつ?

バブル経済が崩壊した原因ときっかけは、1989年の金融政策転換と1990年の総量規制の実施という政府の政策です。

不動産価格があまりにも上昇しすぎたので、政府はこれを抑える政策を取ります。

具体的には、1989年に金利を上昇させて2.5%だった公定歩合は6%になります。こうなると、企業や個人はお金を借りにくくなります。結果として1989年末に3万8,915円だった日経平均株価は、1990年末に2万3,848円になりました。

 

そして、1990年には総量規制を行います。総量規制が行われると、土地購入のための融資額の総量が減るので結果的に土地取引を抑えることになります。

さらに1991年に地価税法を実施して、土地取引を徹底的に行わないようにします。その結果として1990年代初頭に不動産価格は大暴落しました。1990年の東京23区商業地の公示地価は坪2,705万円で1983年の7倍でしたが、2005年には449万円になっています。

ちなみに、この時に銀行は不良債権問題を抱えます。バブル崩壊で貸したお金が返ってこない状態です。それから公定歩合が引き上げられていたので銀行は民間への融資で利益を出せず、銀行経営が大変な状況になっていました。

バブル経済崩壊後の影響

バブルが崩壊したことによって以下のような影響が出ました。

  • 2005年まで地価の下落が続く
  • 100兆円ほど不良債権問題で銀行が倒産
  • 銀行への公的資金注入
  • 銀行が貸出減少で経営難になる
  • 雇用が少なくなり失業者が増えた

2005年まで地価の下落が続く

地価の下落は簡単には止まりませんでした。1990年がもっとも地価が高騰しますが、その後2005年まで下がり続けました。

バブル期に比べて9割近く減っています。

100兆円ほど不良債権問題で銀行が倒産

銀行は債務超過で破綻状態でした。

1997年11月に北海道拓殖銀行の破綻、山一証券の自主廃業など多くの銀行が破綻しました。

銀行への公的資金注入

政府は銀行への公的資金を注入して、破綻状態の金融機関を救おうとしました。

1992年から行われましたが、10兆円ほどは回収できない計算で最終的に国民が負担します。

一方で、住宅金融専門会社7社に対する公的資金の投入を行おうとしますが、預金を扱わない住宅金融専門会社になぜ税金を使うのかという反発が起こります。

実は、住専は大蔵省の天下り機関でした。また、大蔵省と農水省の密約があって、農協マネーが住宅金融専門会社に流れており、有事には優先的に救うことになっいました。

こうしたことが明るみになったこともあり、本格的な公的資金注入は1998年からでした。

銀行が貸出減少で経営難になる

銀行のビジネス自体が苦しくなりました。

企業はお金を借りなくなったので、銀行はお金を貸し出す相手がいません。

また、低金利なため、お金を貸しても儲からなくなりました。

雇用が少なくなり失業者が増えた

バブル崩壊後は失業率が3,4%ほどで、2000年台に入ると2002年に5%まで悪化してしまいました。

それだけ企業は人を雇う余裕がなくなったのです。

まとめ

今回はバブル経済がどういったものか、そして日本でバブル経済はどのように発生して崩壊したのかご紹介しました。

事柄 内容
バブル経済とは 実態以上に膨らんだ経済のこと
日本で発生した時期 1986年12月から1991年2月まで
発生原因 プラザ合意の円高と金利の引き下げ
日本で崩壊した時期 1991年
日本で崩壊した原因 日銀の総量規制と公定歩合の引き上げ

バブル経済は、実態以上に経済が上向きになって崩壊すると恐ろしいことになります。

中国でも不動産バブルが弾けると言われていますが、中国は日本のバブル経済の失敗を学んでいます。

ぜひ、みなさんも教訓として覚えましょう。